北京ジャージャー麺(北方中国式発酵豆味噌和え麺)
とろみは水溶き片栗粉ではなく、豚ひき肉と甜麺醤を煮詰めて出し、ソースはどろりと麺の上にとどまります。甜麺醤にテンジャンを少し加えるため、甘さよりも塩気と発酵の香りが前に出ます。ひき肉から脂がにじみ出てから味噌を加え、鍋底をこそげながら炒めることで生っぽい味が抜け、つやが出ます。
とろみは水溶き片栗粉ではなく、豚ひき肉と甜麺醤を煮詰めて出し、ソースはどろりと麺の上にとどまります。甜麺醤にテンジャンを少し加えるため、甘さよりも塩気と発酵の香りが前に出ます。ひき肉から脂がにじみ出てから味噌を加え、鍋底をこそげながら炒めることで生っぽい味が抜け、つやが出ます。
枝豆の時期に作ると、すりつぶした豆の衣が鮮やかな緑になります。砂糖と味噌、だしでのばしたこの呉を、やわらかいなすと細切りのみょうがにからめる鳥取県日南町の郷土料理で、しんなりしたなすとしゃきっとしたみょうがの対比が生まれます。耕地の少ない山あいでは大豆が大切なたんぱく源で、すりつぶした豆で野菜やきのこを和えてきました。冷やして出すと、ご飯に合うやさしい夏のおかずになります。
中国の家庭料理、トマトと卵の炒めもの(西紅柿炒蛋)に、同じフライパンでご飯まで加えてチャーハンにしました。甘酸っぱいトマトの汁でご飯が赤く染まり、そのあいだに大きめの卵がふんわりと入ります。
牛骨を6〜8時間煮出したスープに、八角とシナモン、直火で黒く焦がした生姜と玉ねぎの香りが重なり、澄んでいながら香りの層が厚いフォーになります。長時間煮ても濁らないよう、骨は血抜きと下ゆでをしてから使います。八角とシナモンは乾いたフライパンで香りが立つまでだけ炒り、すぐに取り出して苦みを防ぎます。薄切りの生の牛肉は麺の上に広げ、煮立ったスープを注いで器の中で火を通します。もやし、ライム、バジルは別に添え、食べる人がそれぞれ酸味と香りを足します。
佐賀県有田町では、にがりではなく葛粉とゼラチンで豆乳と牛乳を固めます。プリンのようにやわらかいのに、はっきりした弾力とつやがあります。20世紀初めに長崎で中国人から葛を使う方法を習い、有田へ伝えたという由来がいくつも残っています。だし、醤油、すりごまのたれをかけ、ゆずの皮や木の芽で香りを添えます。ふだんはおかずとして食べますが、黒蜜ときな粉をかければ甘味にもなり、揚げ物やみそ汁の具にも使われます。
すりおろした自然薯をすり鉢でよくすり、冷ました味噌だしで少しずつのばして、太い帯のように流れるとろろを温かいご飯にかけます。静岡市の丸子は東海道五十三次の二十番目の宿場で、旅人がここに立ち寄ってとろろ汁を食べました。自然薯は秋の半ばから冬にかけて掘られ、1月2日にとろろ汁を食べる地域もあります。
このスープに八角やシナモンは入らず、香りは焼いた玉ねぎと生姜だけで、北部らしくすっきり澄んでいます。牛肩バラ肉を40分煮てだしをとり、その肉を繊維に逆らって薄切りにし、具としてのせます。シンプルな分、脂とあくを丁寧に取ったかどうかがそのまま味に出ます。
ココナッツミルクで煮るので見た目はクリーミーですが、タマリンドのきりっとした酸味のおかげで、食べると意外に軽い口当たりです。インド西海岸ゴア州の漁村の家庭で毎日ご飯と食べる魚のカレーで、現地ではこのカレーとご飯の組み合わせを「シット・コディ(xitt-kodi)」と呼びます。ポルトガル統治時代の名残とコンカニ料理の伝統が混ざり合い、宗教や階層を問わずゴアの人々に食べられています。
すりおろした山のいもを、わざと濃くした味噌汁でスプーンに絡む濃さにのばし、炊きたての熱いご飯にたっぷりかけます。秋田の県北と県南、由利本荘市で、正月三が日や祝いの翌日に食べられてきました。
スープも具も同じ鶏もも肉から生まれます。40分ほど静かに煮てだしをとり、その肉を繊維に沿って裂いてのせます。ぐらぐら煮立てるとスープが濁るため火は弱いまま保ち、ナンプラーは香りを生かすために最後に加えます。表面を黒く焼いた玉ねぎと生姜が香ばしい甘みを加え、長ねぎともやしをのせて軽やかに仕上げます。ハノイでは朝食としてよく食べられるフォーです。ライムは食べる直前に搾り、香りを飛ばさないようにします。
水で戻したライスペーパー越しにピンクのエビと緑のミントが透けて見え、揚げも焼きもしないので口当たりが軽やかです。ゆでた豚バラとエビをビーフン、レタス、もやしと一緒に巻き、添えたピーナッツソースにつけて食べます。
うなぎは皮目から焼いて脂を落とし、醤油、みりん、酒、砂糖を煮詰めたタレを塗ってつやを出します。タレに砂糖が入っているので、二度目は弱火で塗って照りを出すだけにします。ご飯にのせたうなぎに山椒と刻みねぎを振ります。
焼き鯖を甘辛い煮汁で煮て、その煮汁をそうめんに吸わせ、鯖のうま味がしみた麺を一緒に盛ります。若狭と京都を結ぶ鯖街道で鯖が手に入りやすかった滋賀県湖北地方の郷土料理です。田植えで忙しい娘の家へ焼き鯖を届けた五月見舞いの風習や、長浜曳山まつりのごちそうにもつながっています。
一度やわらかくした大豆を木づちで平たくつぶして干した打ち豆は、薄く割れているので丸大豆より早く煮え、大根と同じ鍋で仕上がります。ごんじなますとも呼ばれる福井市東部の煮物で、かつては報恩講や冠婚葬祭の料理でしたが、今は一年中家庭で作られます。
椀には豆腐としいたけの澄まし汁だけが見え、箸を底まで入れると隠れたご飯が出てきます。昆布と生しいたけのだしはあくを取って澄ませ、木綿豆腐は角が崩れないよう静かに煮ます。ねぎ、みかんの皮、おろし生姜、すりごまは、食べる人が好みの量を加えて香りを足します。
揚げた細麺に、豚肉とえび、いか、野菜を炒めて片栗粉でとろみをつけた熱いあんをかけます。1899年に四海楼の陳平順が汁なしのちゃんぽんとして作ったのが始まりで、長崎では元の太麺と、今広く食べられている細いパリパリ麺を区別しています。このレシピは市販の揚げ麺を使う細麺のほうです。かまぼこともやし、しいたけはほかの具に火が通ってから加え、もやしのシャキッとした感じを残します。あんがしみた所はしんなりし、残りはパリッとしたまま口に入ります。
大阪湾でとれ、一緒に天日で干された小魚や小えびのうち、売り物を選んだ残りをごよりと呼びます。そのごよりをから煎りし、ざらめや酒、みりん、醤油でやわらかく煮た大豆と汁気がなくなるまでつやよく煮詰める泉州・河内の常備菜は、河内ではじゃこ豆とも呼ばれます。
塩をしたおにぎりを中弱火のフライパンで片面ずつ触らずにじっくり焼き、返すたびに醤油とみりんのたれを薄く塗り重ねます。表面は薄くカリッとした皮になり、たれがたまった縁だけが少しもっちりします。根元に海苔を巻き、味噌汁とたくあんを添えます。
ウニの半量を生クリームに溶かし込むとソース全体に磯の香りが広がり、塩の代わりににんにくと炒めた明太子が塩気とうま味を補います。上にのせる残りのウニはソースに溶けたウニとは違うなめらかな生の食感で、一皿で同じ食材の二つの表情を味わえます。
丸ごと焼いたさばを大きめにほぐし、玉ねぎと一緒にもう一度煮ます。鳥取の山あいでは、焼き魚が日持ちして運びやすかったため、こうして煮直して食べる方法がなじんできました。頭と太い中骨を外しても焼いた身には小骨が残るので、指先でなぞって抜きます。生姜は薄切りを煮汁に入れ、細切りを上に添えて、二通りに使います。
鶏もも肉と長ねぎを交互に串に刺してフライパンで焼き、醤油、みりん、砂糖のたれを薄く何度も塗り重ねて照りを出します。もも肉は脂があるため強めの火でもぱさつきません。ごはんにのせると串に残ったたれが米粒の間にしみて、追加の味付けはいりません。
米麺にスープを張らず、醤油とナンプラーで炒めた鶏ひき肉をのせて、食べる直前に全体を混ぜます。ミャンマーのシャン地方に由来する和え麺で、にんにくと玉ねぎを炒めた香りが味の土台になり、辛さは粉唐辛子の量だけで調整します。仕上げにフライパンに残った油を温めて回しかけると、その香りが麺全体に行き渡ります。米麺は袋の表示より30秒短くゆでるので、混ぜている間ものびずに弾力が残ります。洗った麺がくっつき始めたら、先に油小さじ1を絡めておきます。
ふんわりした二つ折りの蒸しパンに、醤油と砂糖、五香粉で煮た厚切りの豚バラをはさみ、きゅうりのピクルス、パクチー、炒りピーナッツ粉をのせます。旧正月のころに食べていた料理が始まりで、今は台湾の夜市で買うおやつです。
温かいごはんに生サーモンとアボカドを交互にのせ、醤油、みりん、ごま油のたれは半分をサーモンに和えて冷蔵庫で少し置き、残りをごはんに少しずつかけます。サーモンは生食用として売られ冷蔵で流通したものを使い、においや見た目だけで生で食べられるかを判断しません。切る直前まで冷蔵し、清潔な包丁とまな板で切ります。ごはんの温かさや醤油が魚を安全にするわけではなく、加熱しないみりんはアルコールを含んだままです。長く漬けると身が硬くなり、ごはんの熱で食感も変わっていくため、盛り付けたらすぐ食べます。